諸用で日本に数週間帰国滞在していました。
一言で表すならば、「くるたのしい」日々でした。
くるたのしいというのは、遠藤周作さんが言われた言葉で、
小説を書くというのは「くるたのしい」ことだ
ということだそうです。
そのまま、苦しく、かつ楽しいということです。
これは、ただ単に苦しいこともあったし、楽しいこともあった
という意味ではありません。
苦しいけど楽しい。
いえ、むしろ。
本当に楽しいことというのは、苦しみを伴う、という意味です。
楽しいことは、私にとっては、対話です。
ある時は、昔からの友人との対話。
ある時は、読んでみたかった本との対話。
ある時は、日本という場所で非日常を一人で送っている自分との対話。
食べたかったものを食べて、行きたかった場所に行き、欲しかったものを買ったりもしましたが、
上記の対話がない場合には、本当に嬉しい、楽しいと感じません。
嬉しい、楽しいが一時的で、インスタントに感じてしまう。
時間が少し経てばもうどうでも良いことになってしまう。
それは、そこに対話がない場合です。
別の誰かにとってどうでも良いようなものでも、
私が自分の思想をもって、
ある種の体感覚をもって
購入したものは、そこに自分との対話があるので
時間がたっても嬉しいものになります。
そして、対話というのは、いつも「くるたのしい」ものです。
真剣に対話する限りにおいて、苦しいのです。
自分が今まで信じていたことを覆されたり
変えたくないことを変えることになったり
自分が変わることでそれを取り巻く現在の状況を変えることになったり
苦しいのですが、これがあっての楽しさ。
もっと言えば、より深い喜びです。
対話においての苦しみは、よって喜びなので
それを捨て去りたいとは思いません。
あまりの重さに受け入れがたい時はありますが、
でもそれもすべて込みです。
今回は長く離れていた日本での滞在でした。
私にとってのかなりの非日常です。
長い旅でした。
たとえ実家に滞在していても、旅であり、非日常です。
することすべてが、「いつもはしないこと」
「いつもは話さないこと」
「いつもは見ないもの、考えないこと」
なのですから。
まさに旅の醍醐味です。



