ねずみ男への愛

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ひとりで作り、ひとりで悩み、ひとりで動かし、ひとりで失敗する、を繰り返し、それでも生き抜く起業好き40代。

ヒーロー鬼太郎との対比

故水木しげる先生は自分がもっとも好きなキャラクターは
ねずみ男だと自書でおっしゃていました。

ねずみ男は、卑怯でうそつき、日和見的で、平気で仲間を裏切るような性格で
嫌われ者ですが、どうもなんだか憎めないという描かれ方をされています。

まぁ、きっとでも、そうだろうな
と水木先生の作品を読むほどに思います。

水木先生の自伝的漫画のワンシーンです。

子供時代、しげる少年宅は貧乏で、
芋粥ばかりで飽き飽きしていました。

その頃、海で泳いだら、「間引かれた」赤ちゃんが
「むしろ」に包まれて浮いているのを見つけます。

貧しい時代とはいえ、赤ちゃんかわいそうにねと
食卓で家族で話しつつ、また夕食は芋粥を食べます。

ここで教科書的にいくならば
たとえ芋粥でも食べて生きていけることができて幸せだ、
それだけで十分幸せだと思うべきだ
というオチになりそうなものですね。

でも水木少年は「チェッ、また芋粥かよ」と
捨て台詞をはいています。

なんかほんと、
ねずみ男みたいに口を尖らせて。

赤ちゃんはかわいそうだと思うけれど、
「それと比べて自分は幸せだ、芋粥に感謝して我慢しなくちゃ」
とはならない。

やっぱり飽きているものは飽きている、
別のものが食べたいという
自分の欲求に変わりはない。

そういう自分の欲求、気持ちを一番に感じて、
けっして道徳的な観念でごまかさない。

で、チェッ、と文句を言いながら、
結局それしかないので渋々食べるのです。

今、こんな場面で「チェッ」と
素直に言える子どもって
どのくらいいるのでしょう。

言ったとしても
周囲からなんか言われそうだから
言わないか。

思っていても
「良いことではないから口に出さない」
空気を読む良い子供だと
そういう感情があることも気づかないまま
大人になるのかもしれません。

 

湧き出てくるもの

生まれ落ちたその瞬間から、
親、兄弟、家族、学校、友達、会社、社会から
「こう生きるべき」という様々な教えを
死ぬほど浴びて育ちます。

まぁ、大概の日本人は。

自分が親になると今度は、子供、
はてはパートナーにも「こうあるべき」
と言い始めたり、
「親としてもこうあるべき」
と同時に自分に言い聞かせたりします。

ええ、しました。
私もある時期。
なんだかどこかで違和感を感じつつも
親になるってつまらなくなることだな
と諦めつつも。

これは、
「己のねずみ男は大きくなるまでに綺麗さっぱり消し去れよ。
他の人には見られないようにしろよ」
と子供にも自分にも言い聞かせていること。

それでは、ふとした瞬間に、何かの拍子に
他の人の中にねずみ男を見たら、
それを受け付けられない
毛嫌いするような人間になります。

自分の中の小さなねずみ男すら
受け入れていないのですから、当然です。

そうすると、インターネット上で「ねずみ男(女)がいたぞーー!!」
と追求し炎上するような事態になるのも
なんだかわかる気がします。

 

最初は、「チェッ芋粥かよ」といった
子供の軽いつぶやきなのに、
湧き出てきた感情というだけなのに
それはダメだダメだと100回言われれば
相当ダメっぽくなります。

 

自分の中のねずみ男は
居て当然のものとして
そこに常にあることを感じているのが
自然だと思えます。

だってただの感情ですから。
優劣をつけたから
たまたま薄汚い「ねずみ男」になっただけ。

「それでは嘘をついたり
他人を裏切って嫌われるような
世の中のはみ出し者になる!」

…でしょうか?

でも、「チェッ芋粥かよ」
というそういう湧いてきた感情を
ナシにすることそれ自体が
自分への嘘、自己欺瞞に見えます。

友達にひどい嘘をつけば、
その分しっぺ返しをくらいます。
裏切ってばかりいれば、
やはり裏切られたり、嫌われたりします。

そういう「痛い目」に会うのは当然なので
「ダイレクトにわかりやすい形では出さないように」
することを少しずつ学びます。

だからといって、
「そういう感情はなかったことにする」
のとは大きな違いがあります。

 

あまりにも「痛い目」に会わせまいとするばかりに、
そこを一足飛びにする風潮に不安を覚えます。
いきなり立派な人間に、
「せめて痛い目に会うのは最小で済むような人間」に
育てようとしすぎだと感じます。

自分が痛い目に会う、ということは、
痛い目を見ている人の気持を知る、
ということでもあります。
自分が赤っ恥をかいた経験があれば、
同じような赤っ恥をかいている人の気持ちがわかります。

子供の中から
ねずみ男が出てきたときこそ
子育てのおもしろみを
知る瞬間なのかもしれません。

いつも自分の中のねずみ男と対話していたいものです。