白でも黒でもなく、誰の役にも立たない自分

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ひとりで作り、ひとりで悩み、ひとりで動かし、ひとりで失敗する、を繰り返し、それでも生き抜く起業好き40代。

愛するということ

有名な本のタイトルです。

エーリッヒ・フロムの「愛するということ」

この本は、「愛」について正面から論じている、ここで言うまでもない名著ですのでぜひ読んでいただきたいですが、

今回はその中でも、「自分を」愛するということについて。

もちろん、それは「他の誰かを」愛することにもつながっていきます。

自分を愛することの大切さ

自分のことを好きになれない

そういう人はとても、とても、多いです。

そういう私も、以前は自分のことをあまり好きではありませんでした。

そもそも、自分を好きになるというのはそれほど大切なのでしょうか。

うん。

これは、大切です。

では、なぜ大切なのでしょうか。

それは、自分のことを好きではない、つまり自分の存在認識がネガティブだと、

様々な場面で問題が生じる為です。

他人に肯定してもらいたくなる

自分で自分の存在をそれで良しとできない、

そういう人は他人にそれを求めます。

まずは親、兄弟、子供、夫、妻等の家族。

すべて、私の定義では他人です。

そして、友人、恋人、同僚、社会、世間といった他人の集合体も含みます。

では、仮に他人に肯定してもらえたとして、それでOK、となるのかというと
残念ながらそうはなりません。

自分のすべてを100%他人に肯定してもらうことなど出来ません。

でも、自分で肯定できない部分を全部見せて、

「ここはどう?これでも私を好き?私ってイケてる?」

と何度も、永遠に確認しなければ不安になってしまう。

ここまでストレートならばまだ良いのですが、

(これを必死でSNS等でやっている人はたくさん居るようですが)

もっと事は複雑になります。

誰かの役に立ちたい

人の役に立ちたい、誰かの役に立つことをしたい

こんな気持ちを持っているならば、一度立ち止まってみるのは大切だと思います。

そしてこれは、自分を好きかどうかで、問題になるかどうか、変わるのです。

誰かの役に立ちたいと、どうして思うのでしょうか。

人の為に何かをしたいなんて、良いことに決まってるから?

良いことをする、自分を好きになりたいから?

もしくは良いことをする、自分を好きになって欲しいから?

 

そもそも、本当に人の為に何かするのは良いことなんでしょうか。

誰が決めたんでしょう?どこで聞きましたか?子供の時、親にそう言われた?

学校?友達?

一度、本当にそれは良いことなのか、そうでなければ悪いことなのか、

そもそも、そういう風に分けることができるものなのか

分けれたとしたら、誰が分けたのか、どういう考えにもとづいて分けたのか

こういうことを考えて、考えて、

自分がどうして人の為に何かしたいのか、よく見つめなければ

これは結構な恐ろしい毒になるということをわかっておく必要があります。

子供の為に、彼・彼女の為に、困っている人の為に

「子供のために」といって自分の考えを押し付ける親を想像するのが

おそらくいちばんわかりやすいでしょう。

その行為や考えが実際に役に立つかどうかは関係ありません。

本当は、自分の為じゃないかと、自身に問うているかどうかが問題です。

人の為に、役に立ちたい

というのは美しく、批判されにくい、強いジョーカーです。

しかも実際に何かの素晴らしいアドバイスや行動が相手の為になれば、

こんなに良いことはないと思ってしまうものです。

しかし、その行為は、弱者を使って

自分の存在認識をしている部分がないかどうか

それを美しさの底に見つめる姿勢を持ち続けることができるかどうかです。

共依存

相手は助けてくれる相手を永遠に求め

自分は自分に助けを求める相手を永遠に求める

共依存といわれる状態です。

社会福祉や教育にたずさわる方ならば聞いたことがあるでしょう。

共依存の状態になると、お互いに苦しむことになりますが、特に弱者は、

自分で解決する力が退行しているのに気づかないまま

時が流れてしまう、という大きな問題になります。

そして終わることのない依存関係は、上手くいっている時はいいのですが

だいたい、末路はあまり良いことになりません。

なぜなら、弱者が、つまり助けられる側が、自分で生きていけない状態のまま

野放しにされるような事態になるからです。

もしくは、「自分で生きていけないから、私が必要でしょ?」

と援助者に利用され続けてしまう事もあります。

共依存になるのは、助けを求める側よりも、

助けを求められる側が、自分の問題を解決していない、

つまり、自分で自分を認めることができていない

その為に起こることが多くなります。

邪魔な常識、邪魔な道徳

さて、ここでもう一回。

誰かの役に立つというのはそれほど素晴らしいことでしょうか。

自分を愛そうとする時、一番邪魔になるのは、

一般的に「良い、素晴らしい」とされていること、

つまり、道徳や常識です。

宗教的な教えである場合もあるでしょう。

生まれ落ちてから、親や学校、友人、社会に

これでもかと刷り込まれてきていますから

これに全く縛られていない人はなかなかいません。

ですが、これは自分で考えた事ではない。

ましてや、これに当てはめると、ほとんどの人が

自分の後ろめたい部分を見て見ぬふりするか

諦めをもって受け入れるか

開き直るか

ともかくこの基準で自分を見ると

自分を好きにはなれないのです。

私なんか、この基準を白とすれば、真っ黒です。

そもそも黒なのか

でも、本当はただの自分であり、

常識、道徳、これまで受けた教育、といったものを取っ払えば

白も黒もない、ただのそういう自分でしかないはずです。

白黒は、善悪といっても良いでしょう。

その基準で自分を測ることを止めると

自分を受け入れることはとても楽になります。

その基準がなくなると、他者視線にこだわることも自然となくなります。

自分を好きになる、そのはじめの一歩はここだと思います。

そして、同じ目で周りを見ると、

やはり周りを受け入れやすくなります。

周りのみんなも、自分と同じ、白も黒もないただのそういう人だ、ということです。

他者を愛そうとする場合、

まずは自分を愛することから始めるというのは

共依存のような関係を作らない為にも、

他者を世間基準でジャッジせずにそのまま愛するためにも

大切だろうと思います。

では、道徳、常識、宗教観といったものは不要なのか。

それはまた別の機会に詳しく書きます。