読後の傷跡を探して

ABOUTこの記事をかいた人

ひとりで作り、ひとりで悩み、ひとりで動かし、ひとりで失敗する、を繰り返し、それでも生き抜く起業好き40代。

あふれる心理関連の本や情報

私は海外在住なので、日本の本屋さんの
店頭のラインナップ等は把握できません。

でも先日アマゾンを見ていたら、
売れ筋ランキングを見れることがわかり(←いまさらですね)
色々見ていても、心理学、自己啓発、といったつまりザックリ言うと
自己の内面の改善・向上
を目的とした内容の本が多そうに思えました。

読んでいない本は、タイトルや説明、コメントから推測するのみですが…。

どんな動機でそのような本を手に取るとしても
現在の問題に関する知識を得て、
問題を論理的に把握して解決したい

という気持ちは同じでしょう。

しかし、解決したいと考える心の悩み、問題は

人間の無意識下に潜んでいます。
無意識=潜在意識 でも同じです。
認識できない領域に潜んでいる問題が
形を変えて表出しているのです。

ですから、表出している問題をそのまま
解決しようとしても、
根本的な問題は無意識下に別の形であるので

また別の形で表出します。

このあたりまでは、
それこそこのような本を数冊読んだことがあれば
得られる「知識」ですね。

知性化

ですので、このような「知識」があれば、

現在の自分の状態を分析し、
「なるほど、私のこの感情は、陰性転移なんだな」
なんてわかることも、もしかしたらあるかもしれません。

 

(注)陰性転移
転移というのは心理学用語で、過去抱いていて解決されていない感情を
現在他の別の誰かに抱くこと。
陰性という場合はネガティブな気持ちの方を指します(陽性転移もあるため)

 

こんな感じで ↑上↑ の(注)のような知識と、その例等を参照しながら

自分の現在の状態を把握することはできます。

できますが、それが出来ることと、
それを無くすこと、つまり解決することは
全く別です。

自分の問題の奥深さを知る手がかりにはなるかもしれませんが。

もっと問題なのは、
「頭で」このような問題についての「知識」を入れ込むほど
真の解決からは遠のくことのほうが多い、
ということです。

わかりやすく言うと、
「わかった気になる」という状態ですね。

自己理解を深めたのだから良いのではないか?
と思うかもしれません。

しかし、知識で自分の問題を分析理解することは
自己理解とは違うでしょう。

どうして知識が真の自己理解の邪魔になるのか?

心理学で、「防衛機制」と呼ばれるものがあります。

その内の1つ、知性化 といい、自分の心の悩みに直面する怖さを
知識で理解することで補おうとする傾向のことです。

心の悩みは、どんなにIQが高くても、
現在の社会的ステイタスが高くても、

どろっどろで
グッチャグチャで
ねっちょねちょ

なものです。

早い話が正体の容量も性質もわからず、扱いづらい。
そこに正面から向き合うのは難しいし、苦しい。

もちろん、難しく、避けたい気持ちになるからこそ、
なっていたからこそ
現在問題となっているわけですね。

情報収集はほどほどに

今は本でなくても、さまざまなメディアでこのような情報は溢れています。

この私の文章も、当然そのうちの1つでしょうか。
そこまでお役に立てているかは疑問ですが。
ネットでも
「私を変える10の方法!」とか。
ちょっと調べただけでも、もう山程出てきます。

こういう情報収集は
悩みの解決を求めるという点においては
ほどほどが良い気がします。

自分でこういう文章を書いていて、
自己矛盾か!というツッコミもありそうですが。
そしてわたしも過去心理学を学び、
心理の職業についていた身ですから
その気持はいたいほどわかるのです。

もう少し続けます。

「知識」で自己理解を深めることは、
自分の問題を根本的に解決する
という意味ではむしろ邪魔(自分の真の問題を見つめない為の防衛機制)
だとお伝えしましたが、

では完全に無駄かというと
まぁそうでもありません。

他者を冷静に見つめる、
という意味で有効です。

例えば上記の転移。

転移反応は、問題の大きさに比べて、
感情反応が異常に大きい、という点が1つの特徴です。
つまり、「え、これ(こんなこと)に対して、そんな(過剰な)反応??」
という時、それは転移反応であることもままあるのですね。

常にではありません。

ということは、そういった過剰な感情反応をする周囲の人を
「ただ、感情的で常にイライラしている人」
ではなく
「こういう問題には感情的に反応する傾向がある、
つまり何らかの陰性転移があるのかな」

と知識で理解を援助することで、
その状態を助けることはできなくても

それに対してこちらが過剰に反応する必要はない
と冷静な対処ができるかもしれないのです。
そういう意味で、ある程度知識は入れて、
それが人間関係においてプラスになることはあるかもしれません。

感情と向き合う

同じ本を買うならば、情報入手はほどほどにして、
小説や映画に触れることをおすすめします。

ありがちな結論ですが
自分の内側から湧き出る感情を
キャッチするにあたって
古今東西役立つアイテムたちです。

ただ、時間つぶしにボケッとドラマを観ても、
自己理解という点においての意味はあまりありません。
リラックス、娯楽としてはもちろん楽しいものですが。

映画を観ながら、「この脚本は~~、この構成は~~」
なんて評価しながら観て考えても、
やっぱり意味はありません。
あなたが映画監督やシナリオライターを目指しているなら
重要かもしれませんが。

小説も、社会派の重厚な小説を読めばいい
ってものでもありません。
○○賞を取っているから良い小説だろう
というのも違います。

つまりは読み方、鑑賞の仕方、です。

感情と向き合う為の補助アイテムですから、
内容を自分でどう受け止め、
感情はどう動いているのかを見つめる

この作業が不可欠です。

わたしの場合ですが

小説等を読んでいて、自分の感情の揺れを感じたり
もっとわかりやすく涙が何故か流れてくる…
逆になんだかモヤモヤ、イライラする
続きが読みたいような、読みたくないような変な気持ちになる
なぜかなかなか読み進められない

といった時は、本を一度閉じて、
じっくりその感情を味わいます。

続きを読みたい気持ちもありますが、
自分の感情を揺さぶる作品に出会えた
その希少さをじっくり堪能するほうが大切です。

映画やドラマも、DVDや動画を見ているならば、
一時停止してとめたりします。

そこで自分の感情を見つめ、
何かフッと思い浮かんだら書きとめたりしておきます。
書き留めるのに1時間ぐらいかかって
読書時間がなくなることもありますが、仕方ありません。

残念ながら映画館だと自分のタイミングでストップできないので、
後から振り返るしかありませんね。
なので、私は娯楽作品とうたっているような映画は
家族と映画館で楽しみますが
基本的にDVDやダウンロードした動画で観ることが多いです。

映画館の娯楽作品でも感情反応があった場合は、
後日ダウンロードしてみたり。
初見のインパクトは大切です。

最初に観た時、触れた時が一番、感情を揺さぶられます。
感情を揺さぶられる用意ができていませんから。
一番弱いところを掴まれることがあります。
2回目以降は、「揺さぶられた」部分が見たくない部分の場合、
バリヤを張ってしまいがちです。

2度目以降も、それでも揺さぶられる作品があれば、
それはあなたにとって本物なのでしょう。

身を開いて向き合えたら2度目、3度目はさらに深くなる
そういうこともあると思います。

下手なカウンセリングよりよほど価値がある、
人生のパートナーとなれるような作品。
まだまだ一杯隠れています、きっと。

ある中年女性の例

柴犬の子犬が我が家にきました。

柴犬大好き

子犬大好き

なので、実は子どもたちより楽しみにしていた私。
家にきてからも

仕事、家事、日常を放り出して
一日中犬と遊びたい気持ちを
グッと我慢…してます。

ある程度。大人と呼べる程度に。

この犬が来てから、
どうしても自然と思い出すのが、
私が子どもの時に実家で飼っていた犬のことです。

10年生きましたが、あまりかまってあげなかったなぁ、とか。
幸せな犬生(けんせい?)ではなかったのではないかなぁ、とか。

ほろ苦い感情が湧き出てきます。

つまり後悔の気持ちがあって、これをずっと抱えているわけですね。
なので、犬のしつけのために、

厳しい対応をしようとする人をみると

ネガティブな感情がわらわらっと湧いてきます。
はい、これは、何でしょうか~~~。

 

本文 ↑(注)↑ 参照