降り積もる言葉

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ひとりで作り、ひとりで悩み、ひとりで動かし、ひとりで失敗する、を繰り返し、それでも生き抜く起業好き40代。

曖昧で軽い、わたしのことば?

人は言葉を使って思考します。
無意識から生まれ出た感情は
言葉を借りて具現化されます。

例え最初の理由が照れであっても
「その言葉を使わない」
「その言葉を避ける」
ということは

あなたの中にその感情が生まれても
それを避ける、否定する
そういう思考になってしまいます。
当然それを伝えることはない。

もしくは
「愛」と呼べる感情を抱いても
そう名付けないので
そう認識できない。

「なんかいい」
とか
「面白い」「かわいい」

なんて曖昧で軽めな言葉で済ませてしまう
癖がついていると
自分のその感情が愛だと気付けない。

いやというほど自分の愛を
認識するのは怖いものです。
失った時の辛さを思えば。

「夢」もそうです。
大切なものだということはわかっていても
声高に表現できないのは
世間知らずの子供みたいと思われそうだからなのか
叶わないと半分諦めているからなのか
叶わなかったときの辛さを思うのか。

わかりすぎるから秘する

和歌や詩でうたわれる
これらの事柄は
詠んだ人が
「それが何なのか」を
十分にわかっていて
「あえてその言葉を使わないから」
素敵なのでしょう。

自分にもっとぴったりくる
フレーズを「感じとる」から
味わい深い。

今の自分の気持ちがなんなのか。

どんな言葉がぴったりくるのか。

「曖昧で使いやすい言葉」
で代用するのをやめて
言葉が落ちてくるのを
待つ、というのも面白いと
最近思います。

そうして、自身のこころの中に
磨き抜かれた自分だけの
言葉が降り積もってきたら
後からその自分語辞典を
編纂したり参照するごとに
さらにもっと磨かれていくかもしれません。

自分のために
降り積もらせてみる。

特に安易な代替語に頼らない。

「世間」がどんなに言葉を消費しても
自分の言葉として
自分にとってのある意味をもつ言葉として
持っておきたいと思うのです。

上手いこと言わなくていい

感動して言葉にならない
ということはありますよね。

この景色を絵にしたい、写真におさめたい
こんな音楽がぴったりだ。

それと同じ感覚で
この言葉で切り取りたいという感覚。

その達人が文筆家という人達でしょうか。

達人には残念ながらなれなくても、
上手いこと表現できず
誰に理解されそうもなくても
自分にピッタリくる言葉があれば
その時の気持ちは大切に
抱いていけるように思います。

年を経る毎に言葉が変わっていくのも
面白いところです。
降り積もった言葉は
やがてその人を彩るでしょう。