ポジティブであるべきではない

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ひとりで作り、ひとりで悩み、ひとりで動かし、ひとりで失敗する、を繰り返し、それでも生き抜く起業好き40代。

ポジティブ思考を再考しよう

いわゆるポジティブシンキング、という物が一時大ブームになり、
その後、その功罪が唱えられるようになってから
随分経ちます。

しかしながら未だに
ネガティブ→バツ
ポジティブ→マル
といった「良し悪し」「可不可」で分けるような
考え方を見かけます。

そこで今回はポジティブ思考についてです。

語り尽くされた感もあるかもしれませんが
ここでもう一回、ポジティブ思考とは何なのか
考えてみたいと思います。

 

ポジティブで「あるべき」ではない

認知療法等でも知られる「考え方の癖」を変えるという方法は
有効であり、何でも悪く取る癖のある人というのは確かに
存在しますし、それが生きにくさを招いていることも
また事実です。

では、何でも良く取れば良いのか。

私はノーと言いたいと思います。

ポジティブが良い。

物事の良い面を見つけるようにする。

悪い物事も良い風に捉え直す。

その行為そのものが問題ではなく、
「そうであるべき」
「ポジティブであるべき」
というその考え方にノーなのです。

~であるべき、ということは、
その裏に必ず、
~であるべきではない
という考えがあります。

 

ネガティブの存在があってのポジティブ

ネガティブ、ポジティブを考えるとき
ネガティブであるべきではないから、
ポジティブであるべき
という順番になります。

ポジティブであるべきだから
ネガティブであってはならない
ではない、んですね。

~~であるべきではない
~~してはならない
~~は良くない

という禁止、否定のベースがあるのです。

ポジティブであるべき、という考え方も
そもそもネガティブがなければ存在しません。

影を生み出さない光はないように。

ポジティブを考える時は必ず
無意識であっても
ネガティブを意識していることになります。

ポジティブに考えようとするときは、です。

 

「そうであるべき」という思考

その意味で、「ポジティブであるべき」
は「ネガティブであるべき」
と同じくらい罪深いものであると思います。

罪深い、というよりやっかいな感じ。

とってつけたようにポジティブに考えても
「ポジティブ仮面」をつけただけ。

かえって邪魔なのです。

では、ネガティブでいいのか?

私は、一度そこからやり直しましょう
と提案したいです。

 

無理やり一足飛びにポジティブ

無理やりのポジティブではない
ナチュラルな、フラットなポジティブは存在します。

その状態が本人にとっても
周囲にとっても受け入れやすい
楽な状態です。

ただ、そこにたどり着くには一回
ネガティブを避けるような思考、
ネガティブではいけないという思考を
壊す所からはじめるべきです。

先に述べたように
「ネガティブではいけない」という思考が
「ポジティブであるべき」を産んでしまうからです。

言葉のイメージとしては飄々と
もしくはのんきな感じが
禁止も否定もない
普通にネガティブもあることを当然とした上での
ラクな形かな、と思います。